夕刊デイリーに「ジュエルミキ社長のコラム」を連載!

みなさんこんにちは。

宮崎県北の方々はご存知かと思いますが、あの超有名なニュースペーパー!

 

 

そう!

夕刊デイリー!!

 

 

 

そこに今月からコラムを掲載始めました。

みなさんにお役にたつ情報を掲載していきたいなあと思っています。

よろしければぜひご覧になってみてください。

 

 

あ、クレームは一切受け付けませんから〜!(笑)

 

 

 

コラム001

 

ところで・・・。

 

 

 

考えてみたら、いつも当たり前に読んでいる夕刊デイリー。

でもこんなに購読率の高い新聞ってあるのかあなあと、ちょっとググってみた。

すると面白い記事がありましたので、ちょっとご紹介を。

 

 

注目されてますよ!!!!

 

 

 

→こちらからもご覧になれます。「夕刊デイリー」に学ぶ生き残り戦略←

 

 

地方紙「夕刊デイリー」に学ぶ、新聞の生き残り戦略

 

新聞の先行きがあやしい。インターネットのポータルサイトやインターネット新聞=ブログとりまとめサイトに押され、販売部数がどんどんと下がっている。大都市圏でマンションが建設されても、入居者の新聞購入率は一割台程度。まさに、危機的状況にあると言っていい。

 

僕は前回のブログで新聞紙の生き残り戦略について展開したが(「新聞とBLOGOS、Hufinton Post、アゴラの攻防~新聞のサバイバルは可能か」http://blogs.yahoo.co.jp/mediakatsuya/archive/2013/9/14)、今回はその続編として、生き残りのための具体的な戦略について、地方紙を引き合いに出しながら考えてみたいた思う。

 

 

九州の小都市で気を吐く「夕刊デイリー」

「夕刊デイリー」という新聞をご存知だろうか?「いや、それは間違い。正しくはデイリースポーツだ」と、虎党には指摘されそうだが、そうではない。「夕刊デイリー」という新聞はれっきとした存在。宮崎県延岡市を中心とした小さな地方紙だ。1963年に創刊され、現在においても延岡市内の購読率は六割に達しているという、しっかりと地元=地域に根ざした新聞だ。もちろん大手の新聞紙と同様、その発行部数はインターネットに押されて減少気味だが、低下率は一般新聞紙に比べるとき緩やかだ。旭化成の企業城下町・延岡(もともと城下町ではある)を象徴する文化=ローカルメディアと言ってよい。じゃあ、なんで夕刊デイリーはしぶとく生き残っているのか?実は、この秘密の中に新聞の未来が見えるのではないかと、僕は踏んでいるのだが。

 

夕刊デイリーがフォローする記事のエリアは宮崎県北。本社延岡の他に、高千穂、日向、そして県庁所在地の宮崎に支社がある。そう、宮崎といっても県全域をフォローしているわけではない。もちろん中央の記事も掲載されているが、これは他の地方紙同様、通信社任せ(夕刊デイリーは時事通信)だ。言い換えれば、情報の扱うエリアを全国各地にある県単位で取り扱う地方紙以上にバッサリと切り落としている。たとえば9月12日の一面トップは国道218号高千穂日之影道路の着工と、内藤記念館(延岡城内部にある延岡藩の歴史博物館)の整備充実についての市議会のやりとりだ。はっきり言って、失礼だが周辺の人間以外にはほとんど「どうでもいいこと」が並んでいる。しかし前述した通り、県北の住民の多くがこの夕刊デイリーと他の新聞(「宮崎日日新聞」が多い)を併読しているのだ。そして、さきほど僕は「どうでもいいこと」と書いたけれど、いや、実はそんなことはない。これこそが地域住民にとっては最も「どうでもよくないこと」になっているのである。だから、住民たちは夕刊デイリーを購入し続ける。

 

 

新聞の独自性を生かす

メディアは、その特性が重複する新しいメディアが登場する際には、一般的には完全に飲み込まれてしまうか、再定義を受けて存続するかの二つの道がある。前者はガラケーが出現した際のポケベル、後者はテレビが出現した際のラジオがその典型。ラジオはテレビが普及する中、全国的な放送を展開することを後退させ、マスメディアならぬ、いわば「ミドルメディア」として、その居場所を確保した。つまり、地元に密着すると同時に、音声だけという機動性を生かし、報道の速報性といったアドバンテージで見事に生き残ったのだった。東北大震災の際、もっとも効果的に機能したメディアがラジオであったことは記憶に新しい(Twitterだったという話はまったくの嘘っぱちだ)。

 

僕は、夕刊デイリーのようなきわめて限定されたエリアに向けた新聞というのは、こういったラジオと同じようなミドルメディアとしての機能を十分に生かせる媒体と考える。

 

再び夕刊デイリーの記事についてみてみよう。面白いのは本日の魚市場や青果市場の市況、夜間救急医療体制、そして道路情報、イベント情報、そして読者の投稿(社説ほどのスペースが割かれている)が掲載されていること。つまりベタに地域密着、ある意味「回覧板」「学級新聞」のノリ=親密性があるのだ。で、こうやって一通り見てみると、現在の新聞ではもはや見えづらくなったものが、ここにはくっきりと残っていることがわかる。それは、夕刊デイリーが延岡を中心としたエリアのイメージを読者に対してビジュアル化していることだ。かつて新聞は社会、国家についての情報を網羅することで、読者にこれらについてのイメージを与えてきたのだけれど(B.アンダーソンはメディアを介してイメージされる国家や社会のことを「想像の共同体」と呼んだ)、これが情報の膨大化、価値観の多様化でフォローできなくなっている(むしろ、テレビやネットのポータルを見た方がイメージしやすいくらいだ)。ところが、夕刊デイリーの場合は、扱うエリアを思いっきり絞ってしまうことによって、このかつて存在した新聞の「一覧性」という機能をしっかりと維持しているのだ。ようするに、夕刊デイリーは「規模=エリアの小ささ」という、いわば「逆スケールメリット」を活用して延岡周辺市民にとっての「社会の窓」「地域の窓」としての機能を果たしている。つまり「これを読めば延岡=ふるさとがわかる!」。だから、地域住民は夕刊デイリーを読むことによって、自らの地域アイデンティティを確認し、これをメインテナンスできることが出来るようになっているのである。

 

これにはマスメディアの備えるプッシュ機能も大きく影響している。マスメディアは同じ情報をマス=大衆、つまり不特定多数のオーディエンスに向かって一方向的に提供する。それによってオーディエンスはその情報を共有することになる。延岡周辺の住民が夕刊デイリーを読めば、延岡についての情報を共有することが出来る。だから、これを介してコミュニケーションもまた可能となる。これはインターネット情報の特性であるプル機能では果たせない強み(プルの場合はネットユーザーが自らの嗜好にも基づいて、それぞれバラバラに情報にアクセスするため、情報共有の相手を物理的空間の中に見いだすことが難しい)。それが、翻って、今度は横のつながりを通して地域アイデンティティを醸成するのである。

 

また、新聞を通じて知り得た情報は原則、地元の情報なので、その情報はリアルなものに還元できる。つまり、そこでイベントがあったり事件があったりしたら、その空間を経験からイメージすることが出来るとともに、実際にその場に出かけて確認したり、参加することも可能となるのだ。ここでは新聞=メディアというヴァーチャルと地域という限定された物理的空間=リアルの往還によるリアリティの現出といった事態が発生しているのだ。

 

消費社会化、情報社会化によってローカルの独自性がどんどんと希薄になる現在だからこそ(街の風景はショッピングモールとファミレス、コンビニ、大型電機量販店、ファーストフード、ファストファッションといったもので全国中が平板化している)、かえって地域住民がそこに暮らすことの存在根拠が問われるという逆転現象も起きている。こういったニーズに対して、エリアを限定した新聞による情報発信によってカウンターをあてるのは、むしろ「追い風」となる可能性を秘めているとは言えないであろうか。

 

また、新聞が一次情報である点も強みだ。インターネット新聞=ブログとりまとめサイトやYahoo!などのポータルは原則二次情報。つまり新聞やテレビが拾ってきた情報を掲載するというスタイルを採用している(まあ、ブログとりまとめサイトは必ずしもそうはならないが。たとえば、僕の今回のこの記事は一次資料、つまり夕刊デイリーとその記者から情報を得ているので、BLOGOSに掲載されれば、それは一次情報になる)。一方、新聞は原則「取っ手だし」、つまり生のデータに当たっている。いわば情報を加工する前に、情報を生成している(まあ、「発表ジャーナリズム」と揶揄されるように、記者会見で発表されたものをただ単に流しているだけとか、恣意的に情報を加工したりしていて、これが批判の的にもなっている点も踏まえておく必要があるが)。加えて、ネット上の二次情報によるコンテンツは、その情報の責任性があまり問われない。原則、全て引用ということになるからだ。たとえばインターネット新聞=ブログとりまとめサイトはブロガーたちのコンテンツ。ブロガーたちが自由に表現することが出来るという強みはあるが、その質については保障されていないし、もし情報が誤っていたり、他者を誹謗中傷するようなものになってしまった場合にも、その責任はブロガーたちに投げられるという「責任回避の機能」が働く。一方、新聞は、いちおう新聞社の責任・編集方針にもとづいているわけで「品質保証」がつく(最近は無責任にスキャンダル的なものをデッチあげてすっぱ抜いたりもするので「マスゴミ」と非難されたりもするが)。

 

 

これから新聞がやるべきこと

僕が提案したいのは、こういった夕刊デイリーのようなやり方だ。つまり新聞の持つ一覧性、網羅性、プッシュ性、一次情報性、責任性といったメディアの独自性をローカルの限定した情報で展開すれば、まさに地域オピニオンを醸成するジャーナリズム文化を構築することになる。つまりエリアを限定する代わりに、ジャンルを限定して、おなじようにかつての新聞の機能をそこに盛り込めば、新聞は新しいメディア性を確保し、ラジオのように生き残りが可能になるのではなかろうか。ちなみに、これは必ずしもローカルという物理的空間に限定される話ではない。たとえば新聞がある分野に特化してもよい。つまり「オタク新聞」であっても一向に構わないだろう。

 

ただし、である。ここで取り上げた夕刊デイリーとて、購読率が低下しているという事実を看過するわけにはいかない。実際、夕刊デイリーの読者層が年々高齢化していることも事実だ。そして、若者の新聞離れはなにも大都市圏に限られたことではない。ということは、夕刊デイリーとて、このままのスタイルでは読者を失う恐れを払拭することは決して出来ない。

 

やはり、ここはこういった新聞の持つ独自性を生かしつつ、そのシステムを変更していかなければならないし、やがてそういった時期が夕刊デイリーも訪れることになるのではなかろうか。具体的には、インターネット媒体のさらなる普及・定着によって、日本の新聞流通の基軸となっている宅配システムが早晩、機能しなくなっていくであろうという状況にどう対応するかといった岐路に立たされるはずだ。それは要するに新聞の紙媒体から電子メディアへの移行ということになるのだろうけれど。今はともかく、将来も見据えるのであるのならば、夕刊デイリーもまたインターネットへ移行することになるべきだろう(もちろん、夕刊デイリーは現在でもウェブサイトを運営し記事のダイジェストを提供しているが、僕が指摘したいのは、こういった中途半端なやり方とは一線を画した、ネットでマネタイズするというやり方だ)。というか、そうしない限り若年層の読者を失うことになりかねない。もちろんそれは収益モデルを根本から改めることを余儀なくされることでもあるのだけれど。そして、実は、これ夕刊デイリーに限った話ではなく、全ての新聞が、むしろ夕刊デイリーより先に立たされる岐路なのだが。

 

こうやって、既存のローカル新聞がインターネットの独自性を生かし、インターネットを活用した一次情報を提供するミドルメディアとしてリニューアルされた暁には、既存のポータルの情報掲示板やインターネット新聞=ブログとりまとめサイトと棲み分けることが可能であろうし、ある意味これらよりも情報の質、編集方針が異なっている分、アドバンテージを持つことも可能になるはずだ。ローカルやオタクジャンルの重要な活性化メディアとして。